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蒲原鉄道の車両形式 : ミニ英和和英辞書
蒲原鉄道の車両形式[かんばらてつどうのしゃりょうけいしき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [がま]
 【名詞】 1. bulrush 2. cattail
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
車両 : [しゃりょう]
 【名詞】 1. (1) rolling stock 2. railroad cars 3. vehicles 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
形式 : [けいしき]
 【名詞】 1. (1) form 2. formality 3. format 4. (2) appearance 5. mode 6. (3) math expression 
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 

蒲原鉄道の車両形式 : ウィキペディア日本語版
蒲原鉄道の車両形式[かんばらてつどうのしゃりょうけいしき]

蒲原鉄道の車両形式(かんばらてつどうのしゃりょうけいしき)
本項では、蒲原鉄道蒲原鉄道線)において運用された鉄道車両各形式について記述する。
== 略史 ==
蒲原鉄道線は新潟県下初の電化路線〔『日本のローカル私鉄』 (1990) pp.100 - 102〕(直流600V・架空電車線方式〔「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) pp.34 - 35〕)として、1923年大正12年)10月20日〔「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) p.161〕に五泉 - 村松間 (4.2km) が開業した〔「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) においては同区間の開業日を10月10日としている。〕。開業に際しては木造四軸ボギー電動車デ1形1・2の2両の電車が新製され〔「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) p.35〕、1927年昭和2年)9月〔車両竣功図表 ハ1〕には二軸単車付随車ハニ3形3が増備されている。さらに村松 - 東加茂間 (15.2km) が1930年(昭和5年)7月22日〔に、東加茂 - 加茂間 (2.5km) が同年10月20日〔に開業し、五泉 - 加茂間 (21.9km) の全線が開通した。全線開通に際しては蒲原鉄道初の半鋼製車であるデ11形11 - 13〔車両竣功図表 モハ11〕の3両の電車のほか、電気機関車EL形1が新製された〔。その後、輸送量増加に伴って1942年(昭和17年)12月〔車両竣功図表 ハ2〕に鉄道省より二軸単車ガソリンカーの払い下げを受けクハ1形1として、戦後間もない1947年(昭和22年)〔「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) p.36〕には名古屋鉄道よりモ450形455を譲り受けデ101形101としてそれぞれ導入した。
その後も断続的に車両増備が行われ、1950年(昭和25年)5月〔車両竣功図表 クハ10〕に日本国有鉄道(国鉄)よりキハ41000形気動車1両の払い下げを受けクハ10形10として導入し、1952年(昭和27年)10月〔にはモハ31形31がデ1形1の改造名義で新製されたが、モハ31の竣功と同時に従来車に対して一斉に改番が実施され〔、デ1形はモハ1形に、デ11形はモハ11形に、デ101形はモハ21形に、ハフ1形(旧ハニ3形)はサハ1形に、EL形電気機関車はED1形にそれぞれ改称・改番された〔。
1954年(昭和29年)5月〔車両竣功図表 モハ41〕にはモハ41形41が新製された。同車の新製に際してはモハ11形13より台車・主電動機を転用し〔「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) pp.164 - 165〕、モハ13はモハ1形1(旧デ1形2)より台車・主電動機を転用してモハ51形51と改称・改番された〔〔車両竣功図表 モハ51〕。名義上はモハ41がモハ13の、モハ51がモハ1の、それぞれ改造名義で竣功しており〔〔、この結果開業に際して新製されたモハ1形は形式消滅した〔。1957年(昭和32年)9月〔〔にはサハ1形・クハ2形が付随車ハ1形1・ハ2形2とそれぞれ改称・改番された〔「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) p.37〕。
さらに1958年(昭和33年)1月〔車両竣功図表 モハ61〕と1965年(昭和40年)7月〔車両竣功図表 モハ71〕の二度にわたって西武鉄道より2両の電車を譲り受け、モハ61形61・モハ71形71として導入した。なお、モハ61は当時の西武鉄道における標準塗装であった〔、窓下補強帯(ウィンドウシル)の下端部を境界として上半分をイエロー・下半分をマルーンに塗り分けた2色塗りのまま入線し〔、従来茶色一色塗装であった既存の旅客用車両についても順次イエロー・マルーンの2色塗りへの塗装変更が実施された〔。
1973年(昭和48年)1月〔車両竣功図表 モハ81〕にモハ81形81が、1975年(昭和50年)12月〔車両竣功図表 モハ91〕にはモハ91形91がそれぞれ越後交通〔・山形交通(現・ヤマコー)〔より譲受の上で導入され、この結果蒲原鉄道線における在籍旅客車両は電動車10両・制御車および付随車3両、計13両の最大両数を数えるに至った。また、1978年(昭和53年)10月〔のワンマン運転開始に先立って、同年7月〔よりモハ12・31・41・61・71の5両を対象に、バックミラー取り付け等ワンマン運転対応化改造が実施された。
1978年(昭和53年)9月〔に付随車ハ1・2が廃車となり、翌1979年(昭和54年)1月〔にはモハ21が廃車となって蒲原鉄道における木造車は全廃となった。さらに1985年(昭和60年)4月1日付〔で村松 - 加茂間 (17.7km) が廃止となったことに伴い、モハ11・12・51・81・91の5両が同年6月20日付〔で廃車となった。
開業当初と同様、五泉 - 村松間 (4.2km) に縮小された蒲原鉄道線は、前述廃車対象から外れ残存したモハ31・41・61・71およびクハ10の計5両の旅客用車両によって運用されたが〔、旅客数の減少ならびに車両・施設の老朽化〔「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) pp.166 - 167〕を理由として1999年平成11年)10月4日付で全線廃止となり、同5両の旅客用車両ならびに電気機関車ED1を含む全在籍車両は同日付で全車除籍された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蒲原鉄道の車両形式」の詳細全文を読む




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