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蒲原鉄道モハ31形電車(かんばらてつどうモハ31がたでんしゃ)は、かつて蒲原鉄道(蒲原鉄道線)に在籍した電車。従来車の主要機器を流用して1952年(昭和27年)10月〔「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) p.36〕に新製された、蒲原鉄道線における戦後初の新型車両である。 本項では、モハ31形同様の経緯によって1954年(昭和29年)5月〔に新製されたモハ41形電車についても記述する。 == 概要 == 1923年(大正12年)10月〔「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) p.161〕の蒲原鉄道線の開業に際して同年7月〔「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) pp.166 - 167〕に新製された木造四軸ボギー電動車であるデ1形(後のモハ1形)2両は、戦中から戦後の混乱期にかけての酷使と新製から30年弱を経過したことによる老朽化が進行し、早急な代替が望まれる状態となった〔。同形式の代替は、相対的に寿命の長い台車など走行機器(主要機器)については再利用の上、新たな車体を製造して組み合わせる形で実施されることとなり、モハ31形31はこのような経緯によって製造されたものである〔。 モハ31は書類上の扱いも新製名義ではなくデ1形1の改造名義によって竣功したが、実際にはモハ31にデ101形101(後のモハ21形21)の主要機器を転用し、モハ31の名義上の種車となったデ1の主要機器についてはデ101に転用するという、些か複雑な主要機器のたらい回しが実施されている〔〔「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) pp.164 - 165〕。これはデ1形の装着する台車〔J.G.ブリル社製の鍛造鋼組立型軸ばね式台車ブリル76E-1。〕とモハ31の車体と組み合わせた場合、同台車の心皿荷重上限を超過してしまうことから、心皿荷重に余裕を有したデ101の台車をモハ31新製に際して転用するために行われた措置である〔『日本のローカル私鉄』 (1990) p.102〕。 残るモハ1形1(旧デ1形2)についてもやや遅れて同様の手法をもって代替が実施され、モハ41形41が製造された〔。モハ41の製造に際しては、モハ31同様の理由からモハ11形13より主要機器を転用し、モハ13にモハ1の主要機器を転用する玉突き転用が再び実施されているが〔、モハ41については直接の機器流用元であるモハ13の改造名義によって竣功した点が異なる〔〔モハ13についてはモハ51形51と改称・改番され、モハ1の改造名義で竣功した。〕。 モハ31・41とも車体の新製ならびに機器の儀装は東京電機工業が担当し〔、いずれも蒲原鉄道村松車庫内における出張工事によって製造された〔。また、モハ31・41を製造して以降の車両増備は、全て同業他社より譲り受けた中古車両によって賄われたことから、同2両は蒲原鉄道線の旅客用車両における最後の自社発注車両となった〔〔蒲原鉄道は1959年(昭和34年)3月に自社村松車庫において二軸有蓋貨車ワム1形1を新製しており、同車が移動機械(モーターカー等)を除く車籍を有する車両としては最後の新製車両となった。〕。 モハ31・41は蒲原鉄道線における主力車両として運用され、モハ41については後年車体延長改造を施工の上、2両ともに1999年(平成11年)10月の蒲原鉄道線全線廃止まで在籍した〔「蒲原鉄道 有終のフィナーレ」 (1999) p.78〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒲原鉄道モハ31形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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