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蒲池 統安(かまち むねやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。蒲池氏の重臣。塩塚城主。初めは兄達と同様、大友義鎮(宗麟)からの偏諱を受けて鎮安(しげやす)と名乗ったが、後に義鎮の子・義統からの偏諱を受けて統安に改名した。 == 生涯 == 天正6年(1578年)の耳川の戦いに、父蒲池鑑盛、兄鎮漣と共に3千の兵を従えて大友氏方の武将として出陣。既に家督を継いでいた兄鎮漣は、直属の兵2千余を引き連れて柳川に帰城。戦いは島津氏の「釣り野伏戦法」により大友氏の大敗北となるが、その中で、統安は父鑑盛と共に、島津氏の本営への突入を何度も果敢に試み、父と共に壮烈な討死をする(この時は筑後に戻り、柳川の戦いで討ち死にしたともいわれる)。柳川市の沖ノ端のニ宮神社に、甥の宗虎丸(蒲池久鎮)と共に祭神とされる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒲池統安」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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