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蒲池 鎮漣(かまち しげなみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。筑後十五城の筆頭大名でもある。兄・蒲池鎮久と共に大友義鎮(宗麟)から偏諱を賜り、鎮漣と名乗った(表記は鎮竝(新字体:鎮並)とも)。蒲池氏17代・後蒲池8代当主。 == 生涯 == === 家督相続と大友氏からの離反 === 父鑑盛(宗雪)には、長男・鎮久、次男・鎮漣(鎮竝)、三男・統安、四男・統春がいたが、兄鎮久は庶長子であるため、鎮漣が蒲池氏17代目として柳川の蒲池氏嫡流の家督を継ぎ、鎮久は家老として鎮漣を補佐する立場となった。 天正6年(1578年)、耳川の戦いで隠居の身であった父や弟・統安らと共に3千の兵を率いて大友方として出陣する。しかし、大友氏への忠義に厚い父とは異なり、鎮漣は大友氏からの独立志向を持っていたため、仮病を口実に直属の兵2千を伴って柳川へ帰還した。父鑑盛と弟統安はこの戦いで討死する。 鎮漣の妻・玉鶴姫の父は龍造寺隆信であり、かつて隆信は肥前国から追放された時に蒲池氏に保護されたことから鎮漣に娘を嫁がせていた(『九州治乱記』)。こうした背景から、大友氏を離れた鎮漣は龍造寺氏に接近することとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒲池鎮漣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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