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蒲生 忠右衛門(がもう ちゅうえもん、生没年不詳)は、戦国時代の武将。初名は谷崎忠右衛門。別名、内記。 ==生涯== もともとは谷崎姓を名乗っており、織田家重臣・滝川一益に仕えて関東入りし、天正10年(1582年)6月に北条氏直の軍勢と戦っている(神流川の戦い)〔『上州治乱記』〕〔『神流川合戦記(金讃本)』〕。その後、滝川一益は天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ所領を失った。しかし、忠右衛門は滝川一益に従い天正12年(1584年)6月、九鬼水軍の船に乗って蟹江城を攻略し、その後の籠城戦では蟹江城の大手門である海門寺口の守将を務めた(蟹江城合戦)〔『武徳編年集成』〕。 蟹江城合戦の後は蒲生氏郷に仕え、天正14年(1586年)の九州平定で戦功を挙げ、蒲生の姓を受けた。蒲生氏郷が奥州入りすると2万5,000石を与えられたが、蒲生忠郷の代に町野幸和と対立し、蒲生郷喜・蒲生郷舎兄弟らとともに浪人となった。その後、町野幸和が失脚すると、蒲生家に帰参した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒲生忠右衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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