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蒲田 兼光(かまた かねみつ)は、南北朝時代初期の武将。石塔義房奉公衆。陸奥石川氏の有力一門、石川蒲田氏の当主。通称、蒲田左近大夫、蒲田冠者。 == 概要 == 兼光は、陸奥石川氏初代の源有光の長男・大寺光佑の七世孫にあたる坂地光広を父とし、陸奥国白河郡の蒲田村(現・福島県古殿町鎌田)を領して蒲田冠者を称した。名門石川氏の有力庶家として活躍した。 兼光は一族の板橋高光と建武2年(1335年)以来北朝の足利尊氏に従って奥州等を転戦した。奥州管領の吉良貞家からもしばしば所領を安堵されており、使節にも起用されているほか、奥州総大将の石塔義房に従い奉公衆としても活躍している。 文和2年(1353年)の宇津峰城攻略では、兼光は柴塚(郡山市栃本)の陣を攻撃して打ち破り、長平城の戦いで子息の蒲田末光が傷を受けた。 後に兼光は嫡子の蒲田義光に蒲田村を相続させ、末光にも一部を与えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒲田兼光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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