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蒼隼丸(そうしゅんまる〔九州近代化産業遺産研究委員会 『九州近代化産業遺産の意義 』 九州地方知事会、2006年、9頁。〕)は、江戸時代後期の1849年に幕府が、浦賀奉行所の警備船として建造した帆船である。比較的小型ではあるものの、西洋式帆船であるスループの構造を取り入れた設計であった。東京湾の警備用として同型船が量産された。 == 建造の経緯 == いわゆる鎖国体制をとっていた江戸時代の日本であったが、後期になると、1846年(弘化3年)のジェームズ・ビドル艦隊の来航など、外国船の出現が相次ぐようになった。当時の日本の沿岸警備体制は不十分で、例えば、東京湾の海上警備を担当する浦賀奉行所の保有船艇は、老朽化して廃船同様の「下田丸」(32丁艪)を最大とする小早4隻と押送船7隻しかなかった〔石井謙治 『和船 II』 法政大学出版局〈ものと人間の文化史〉、1995年、167頁。〕。そこで、海防体制の強化が課題となった。 ビドル艦隊来航後、浦賀奉行の大久保忠豊らは、大型軍船の建造を軸とする海防方針(大船策)を提案した。他方、幕府中央の海防掛らは陸上砲台と小型船による小船策を適当とし、しかも1847年10月(弘化4年9月)に浦賀奉行所が小船策に沿って提案したスループ建造案すらも却下した。却下理由は、西洋式で2本マストのスループは外国船に紛らわしく、天保13年に出された国籍識別目的の3本マスト船禁止令に抵触する虞があること、大型の外国船には性能的に対抗できないので不必要な変革であることなどであった〔安達(1995年)、225-227頁。〕。 不採用となりかけたスループ案であったが、1849年(嘉永2年)、大船策を推す老中の阿部正弘の裁定により、一転して建造が決まった〔安達(1995年)、229頁。〕。浦賀奉行所に1隻の試作が命じられ、運用結果が良好であれば量産も行うものとされた。海防掛の反対をふまえ、マストの数は1本だけとし、和船と同じく起倒式とするよう指示された。1849年4月22日(嘉永2年3月30日)に浦賀で起工され、同年8月9日(嘉永2年6月21日)に竣工した〔安達(1995年)、253頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒼隼丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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