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蓑 正高(みの まさたか、貞享4年(1687年) - 明和8年8月7日(1771年9月15日))は、江戸時代の猿楽師。後に抜擢され江戸幕府の幕臣となり、関東の農政に携わる。通称は庄次郎。妻は田中休愚(田中喜古)の娘。天正の頃より蓑家の者は「蓑笠之助」を名乗っていた〔『新訂 寛政重修諸家譜』第十八 379頁〕。 == 略歴 == *貞享四年(1687年)に松平越後守の家来で江戸小沢家の長男に生まれるが、宝生座巳野庄之助兼正の養子となり、巳野庄次郎を名乗る〔。 * 享保5年(1720年)ごろ、田中休愚の娘と結婚〔。 * 享保11年(1726年)から始まった義父・田中休愚による酒匂川補修工事に中途より参加。 * 享保12年(1727年)に「相州酒匂川堤井御修復御用」を拝命、正式に役人として普請に当たる〔東京大学社会情報研究所廣井研究室、2003/11/14〕。 * 享保14年(1729年)8月に、「関東地方御用掛〔関東の新田開発や治水などの農政を掌る役職。〕」を兼帯する南町奉行の大岡忠相に抜擢され、その配下となる〔。蓑笠之助に改名〔。 * 享保17年(1732年)支配勘定格となり、天領のうち33,500石余りを預かる〔。 * 享保19年(1734年)3月2日、相模国津久井県(神奈川県津久井郡)において支配地が1万620石余増加される〔。 *元文元年(1736年)、『農家貫行』を上梓〔。 * 元文4年(1739年)2月8日に代官となり、廩米(りんまい、蔵米)160俵を給される〔。 * 寛延2年(1749年)5月16日、勤めぶりが「よからざるにより」出仕を止められ小普請となるが、同年8月6日に許される〔。 * 宝暦6年(1756年)12月26日に致仕。明和8年(1771年)8月7日に死去。享年85。法名は法山で、芝の増上寺に葬られ、以後、同地が蓑家の葬地となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蓑正高」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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