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蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。 騎兵将校として騎兵第9連隊長・騎兵集団長・騎兵監を歴任し、大日本帝国最後の侍従武官長となった。また、陸軍大学校兵学教官当時の教え子の1人が栗林忠道学生(当時陸軍騎兵中尉)である(#栗林忠道との関係)。 == 経歴 == 1883年(明治16年)、加賀藩士・宮崎幹の長男として生まれ、蓮沼盤雄の養子となる。成城学校を経て、1903年(明治36年)11月30日、陸軍士官学校(第15期)を卒業。日露戦争では、騎兵第10連隊附として出征した。第10師団副官を経て、1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業した。 参謀本部部員、ドイツ私費留学、イギリス駐在武官、陸軍騎兵実施学校教官を歴任し、シベリア出兵では浦塩派遣軍参謀として出征。さらに陸大兵学教官、騎兵第9連隊長を経て陸軍騎兵大佐当時には東宮武官兼侍従武官および侍従武官を拝命。 1931年(昭和6年)8月、陸軍少将に任官し、陸軍騎兵学校教育部長、騎兵第2旅団長、騎兵集団長などを歴任。1935年(昭和10年)8月、陸軍中将、騎兵監、第9師団長、中部防衛司令官、駐蒙兵団司令官、駐蒙軍司令官を経て、1939年(昭和14年)8月には帝国最後となる侍従武官長を拝命。1940年(昭和15年)12月に陸軍大将、翌年開戦の太平洋戦争(大東亜戦争)中も一貫して侍従武官長を務め、終戦後の1945年(昭和20年)11月、予備役に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蓮沼蕃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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