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蓮田岩槻バイパス(はすだいわつきバイパス)は、埼玉県蓮田市閏戸からさいたま市岩槻区加倉に至る、国道122号のバイパス道路である。1992年までは蓮田バイパスと呼ばれていた。 == 概要 == 計画総延長は9.1kmで、全線片側2車線で整備される計画である(2006年6月11日以前から供用されていた区間の一部は、東京方面がさいたま市岩槻区に入る手前で片側1車線となっていたが、現在は平林寺橋交差点前から片側1車線となっている。残りの区間が片側2車線化となった場合、前述する交差点以南の現在使用されている道路は東京方面用の一方通行となる)。 さいたま市岩槻区内においては周辺住民の生活道路を通り、なおかつ東武野田線と平面交差し、埼玉県道2号さいたま春日部線(旧国道16号)と共用している区間を東北自動車道岩槻ICへのアクセス向上とともに短絡する事を主要な目的としている。蓮田市内においてもJR蓮田駅近辺の市街地を片側1車線で通過し、なおかつJR宇都宮線と平面交差するなど、双方で慢性的な渋滞を引き起こす要因があることから、迂回路としての役割もある。2012年現在、ほぼこちらのバイパスが現道になりつつある。なお旧道部分は、宇都宮線の踏切付近は埼玉県道311号蓮田鴻巣線に、それ以北は蓮田市道に格下げされている。 1968年の事業化以来、主に蓮田市南部-さいたま市岩槻区内の区間については整備が進み、1972年11月17日に平林寺橋-加倉(北)間の開通を皮切りに供用されてきた。その後も1976年6月1日に蓮田市・さいたま市岩槻区境の馬込橋-平林寺橋間、1982年7月26日に埼玉県道154号蓮田杉戸線の東(二)-馬込橋間がいずれも片側1車線で開通した。 一方、蓮田市北部の区間については整備が難航し、1989年3月31日に閏戸(南)-埼玉県道3号さいたま栗橋線の関山(北)間が片側1車線で開通したものの、JR宇都宮線との交差部分を含む関山(北)-東(二)間(「東(二)交差点」は、2006年5月11日に蓮田杉戸線の経路変更により廃止となり、岩槻寄りに新設した「久台交差点」に変更した)の約1.3kmの区間については、沿線に近接する小学校への影響が懸念され、工法の問題等で長く工事凍結状態にあった。2006年6月11日にこの区間も開通し全線開通、閏戸-馬込橋の手前までの片側2車線化となったが、さいたま市岩槻区内で片側1車線の区間(東北自動車道の西側の部分の約2.8km)が残っている。この区間については、長い間土地は確保されていたままであったが、2007年度からようやく完全片側2車線化工事が開始されている。しかし、未収用地が残されているさいたま市岩槻区加倉地区の沿線住民が、東武野田線との立体交差を当初計画のオーバーパス(跨線橋用の高架柱が建てられたままとなっている)からアンダーパスに計画変更を求める運動が起こり、2013年度に予定していた完全片側2車線化の完成を断念した。沿線住民との交渉の結果、騒音対策の緩衝地帯を設ける事を条件にオーバーパスで通す事で2012年に合意し、跨線橋用の高架柱の撤去・架け直しをして2017年度の完成予定に変更となった。また、その他の区間の改良やバイパスの整備により交通量が増加している為、さいたま市岩槻区の平林寺橋以南の区間(特に国道16号及び埼玉県道2号さいたま春日部線との交差部)では夜間を除いて、上下線ともに渋滞が慢性化している。 2011年3月8日正午より、馬込橋-平林寺橋間に掛けて、東北自動車道の西側の部分開通により蓮田方面行きが分離され、旧道は平林寺橋から蓮田方面への一方通行となり、蓮田側からはこの交差点の前で途切れることとなった。 しかし、開通後間もなくして旧道の岩槻市街側から平林寺橋交差点を誤って右折しようとする車が見られ、実際に現在の東京方面用の道路において誤進入車との正面衝突事故が発生した(以後、誤進入防止として道路に2車線分、交差点前に進入禁止のペイントが施された)。 埼玉県道3号さいたま栗橋線との交差部分はオーバーパス(立体部は2車線、制限速度50km/h、追い越し禁止規制)、JR宇都宮線との交差部分はアンダーパス(途中、非常電話を設置)で通している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蓮田岩槻バイパス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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