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蔡 命新(チェ・ミョンシン、채명신、1926年11月27日 -2013年11月25日 )は、韓国の陸軍軍人。ベトナム派遣軍最高司令官、初代大韓テコンドー連盟会長、ブラジル大使などを歴任した。 == 概要 == 平壌師範学校を卒業して教師として働くが1947年に越南。1948年、朝鮮警備士官学校第5期卒業、任少尉となる。初級将校として1948年の済州島討伐作戦、1949年の太白山地区共匪討伐作戦に参加した。 朝鮮戦争中の1951年2月にを率いて朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の後方でゲリラ活動を指揮して活躍した。同年9月第7師団第5連隊長に就任し、1954年1月に第3軍団作戦参謀となった。同年12月、陸軍本部作戦参謀部作戦課長。1957年8月、第1軍団参謀長、1958年3月に野戦軍司令部作戦参謀となった。1959年4月に第38師団長となり、翌年の1960年4月に第5師団長となった。 朴正煕による5・16軍事クーデターで樹立された軍事政権で幹部として抜擢され、ベトナム戦争ではベトナム派遣軍最高司令官を務めた。フォンニィ・フォンニャットの虐殺では、韓国軍の犯行をベトコンによるものであるとアメリカ陸軍参謀総長ウィリアム・ウェストモーランド大将に報告するなど、アメリカ軍との間に戦術を巡り衝突を繰り返したが後にアメリカ軍が韓国軍による対ゲリラ戦術を取り入れたことを明言し、ソンミの虐殺を指揮したウィリアム・カリー中尉の行動に理解を示す発言を行っている。ベトナムから帰国後は第2軍司令官に就任した。 一方でテコンドーの普及に広く貢献し、大韓テコンドー協会の初代会長に就任した。またブラジル大使、スウェーデン大使、ギリシャ大使を歴任するなど軍事・外交・文化全面にわたり韓国の躍進に貢献した。 2013年5月25日、死去した。蔡は遺言で将軍墓地でなく兵士墓地に埋葬されることを希望したという。 1994年に蔡が出版した自叙伝『死線幾たび』の中で、蔡は朝鮮戦争当時韓国軍が慰安所を運営していた事実を認めている〔「《歴史的スクープ》韓国軍にベトナム人慰安婦がいた! 米機密公文書が暴く朴槿恵の“急所”」(TBSワシントン支局長・山口敬之)(『週刊文春』2015年4月2日号)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蔡命新」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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