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蔡廷カイ : ウィキペディア日本語版
蔡廷カイ[さい ていかい]

蔡 廷鍇(さい ていかい)は、中華民国中華人民共和国の軍人・政治家。国民政府国民革命軍)の軍人で、粤軍(広東軍)の指揮官。後に福建事変に参加し、中国国民党革命委員会(民革)に加わるなど、反蒋介石派の要人となった。賢初
== 事跡 ==

=== 第19路軍結成 ===
貧農の家庭に生まれ、当初は学を志した。しかし1909年宣統元年)に広東新軍に参加し、軍歴を開始する。1920年民国9年)、護法軍政府の鄧鏗李済深らが率いる粤軍第1師に加入し、ここで軍事訓練、教育を受けた。以後、粤軍の各地での戦いに加わり、蔡廷鍇は軍功をあげた。
1925年(民国14年)7月に国民政府が広州で成立すると、李率いる粤軍は国民革命軍第4軍に改組される。蔡廷鍇は、陳銘枢率いる第10師に配属された。1926年(民国15年)7月、中国国民党による北伐が開始されると、蔡は第10師第28団団長に任命される。湖北省での呉佩孚との戦いで軍功をあげ、「鉄軍」と呼ばれた第4軍の一員として高い名声を得た。
民国16年(1927年)に蒋介石汪兆銘(汪精衛)が対立すると、当初の蔡廷鍇は汪を支持し、北伐を続行した。汪も反共に転じると、蔡は葉挺に従って南昌起義には参加している。しかし、蔡はまもなく中国共産党への思想的違和感から離脱し、陳銘枢らの粤軍に再合流した。その後は、陳銘枢に従って蒋を支持し続け、反蒋派の軍と戦い、軍功を重ねた。1930年(民国19年)8月、蒋光鼐と蔡は、国民革命軍第19路軍を組織することになる。蒋光鼐が第19路軍総指揮、蔡が第19路軍軍長に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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