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蔡鐸 ( リダイレクト:志多伯天将 ) : ウィキペディア日本語版
志多伯天将[したはく てんしょう]
志多伯 天将(したはく てんしょう、1645年1月4日順治2年12月8日)- 1725年1月29日雍正2年12月16日))は、志多伯家10世で蔡温の父。金城親雲上梁沢の子で後に志多伯家の養子になった。唐名を蔡 鐸(さい たく)という。童名思徳(うみとく)。
1677年康熙16年)に尚貞王の命により、『歴代宝案』を修正し、さらに1697年からは『中山世鑑』の漢文訳・補訂し、『中山世譜』を完成させた。生存中、多く詩を残している。その一部が『中山詩文集』に収録されている。
蔡鐸は正室の真呉瑞との子・蔡温嗣子にしようとしたが真呉瑞が反対し、側室の眞多満との子・蔡淵嗣子としたといわれる。
==年表==

*1645年1月4日 梁沢金城親雲上の子として生まれる。
*1652年 蔡錦福嶺親雲上の養子になる。
*1677年歴代宝案』を改訂。
*1680年 蔡淵が誕生する。
*1682年 蔡温が誕生する。
*1692年 久米村総役になる。
*1697年中山世鑑』の漢文訳をはじめる。
*1701年中山世譜』(蔡鐸本)が完成。
*1725年 死去

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「志多伯天将」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sai Taku 」があります。




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