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蔭山 貞広(かげやま さだひろ)は、安土桃山時代の江戸時代初期の武将。江戸幕府旗本。徳川家康の側室として知られる養珠院の義弟にあたる。 == 生涯 == 蔭山氏は永享の乱で滅んだ鎌倉公方・足利持氏の遺児・広氏を初代とする家で、貞広は7代目にあたる。父・氏広は北条氏直に仕えたが、天正18年(1590年)小田原征伐によって滅亡したために蟄居していた。 貞広は徳川家康に召されて小姓として出仕し、後に武蔵国児玉郡に1,000石を与えられる。慶長20年(1615年)将軍・秀忠に従って参内し、従五位下因幡守に叙される。それまで蔭山氏は紀氏を本姓としていたが、この時に源氏に復姓している。後に書院番に転じ、寛永10年(1633年)常陸国鹿島郡に200石の加増を受けて計1,200石を領した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蔭山貞広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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