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蔵原 伸二郎(くらはら しんじろう 1899年9月4日 - 1965年3月16日)は熊本県出身の詩人、作家、評論家。 ==生涯== 熊本県阿蘇郡黒川村(現在の阿蘇市)に生まれる。本名は蔵原惟賢(これかた)。父惟暁は神官で阿蘇神社の直系〔「蔵原家の先祖を遡ると、阿蘇大宮司家にたどり着く」(TOKYO FILMeX デイリーニュース 2008年11月22日 トークイベント「蔵原惟繕を語る」(『第三の死角』上映後) )。〕。母いくは医学者北里柴三郎の妹。 7歳で熊本市に移住。旧制九州学院中学校在学中から中国詩に親しむ。19歳で上京し、慶應義塾大学文学部仏文科に学ぶ。同級に青柳瑞穂や石坂洋次郎がいた。1923年、大学在学中に萩原朔太郎『青猫』に触発されて詩を書き始め、『三田文学』『コギト』に作品を発表。のち、東京外国語学校のロシア語科に通っていたことが発覚したため、二重学籍を理由に慶應義塾大学から退学処分を受ける。1927年、小説集『猫のゐる風景』を春陽堂から刊行。1931年、田畑修一郎や小田嶽夫たちと共に同人誌『雄鶏』(1932年『麒麟』と改称)を創刊。このほか『文芸都市』などで活躍。 1939年、第一詩集『東洋の満月』を刊行。萩原朔太郎や川端康成に激賞される。『四季』同人。1943年、『戦闘機』(1943年)で第4回詩人懇話会賞を受賞。1944年、『戦闘機』および『天日の子ら』で第3回日本詩人賞を受賞。 疎開先の埼玉県入間郡吾野村で敗戦を迎えた後、戦後は埼玉県入間郡飯能町河原町(飯能市)に住む。戦時中に発表した国粋主義的な戦争詩に対して、戦後に指弾を受け、貧困の中で「朝鮮人のいる道」など贖罪的な詩を書いた。 晩年は、文化財保護審議員として飯能焼を研究。1964年、北里研究所附属病院に入院中、第六詩集『岩魚』を刊行。これに対して、1965年に第16回讀賣文学賞詩歌俳句賞を受賞、その直後に病没した。 その他の作品に、詩集『乾いた道』、小説「目白師」、評論集『東洋の詩魂』など。特に「猫のゐる風景」「目白師」は川端康成から絶賛された。飯能市の天覧山の入口と、阿蘇市の生家跡に詩碑がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蔵原伸二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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