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蕉門十哲(しょうもんじってつ)は、松尾芭蕉の弟子の中で、特に優れた高弟10人を指していう。蕉門の十哲とも。 蕉門十哲とされるのは以下の10人である。 ; 宝井其角(たからい きかく) : 寛文元年(1661年) - 宝永4年(1707年) 蕉門第一の高弟。江戸座を開く。 ; 服部嵐雪(はっとり らんせつ) : 承応3年(1654年) - 宝永4年(1707年) 其角とならんで蕉門の双璧をなす。 ; 森川許六(もりかわ きょりく) : 明暦2年(1656年) - 正徳5年(1715年) 晩年になって入門。画の名人で芭蕉に画を教える。 ; 向井去来(むかい きょらい) : 慶安4年(1651年) - 宝永元年(1704年) 京都嵯峨野に別荘「落柿舎」を所有。芭蕉より野沢凡兆とともに「猿蓑」の編者に抜擢される。 ; 各務支考(かがみ しこう) : 寛文5年(1665年) - 享保16年(1731年) ; 内藤丈草(ないとう じょうそう) : 寛文2年(1662年) - 宝永元年(1704年) ; 杉山杉風(すぎやま さんぷう) : 正保4年(1647年) - 享保17年(1732年) 蕉門の代表的人物で芭蕉の経済的支援者。 ; 立花北枝(たちばな ほくし) : 生年不詳 - 享保3年(1718年) 「奥の細道」の道中の芭蕉と出会い入門。 ; 志太野坡(しだ やば) : 寛文2年(1662年) - 元文5年(1740年) 芭蕉の遺書を代筆。 ; 越智越人(おち えつじん) : 明暦2年(1656年) - 没年不詳 尾張蕉門の門人。「更科紀行」の旅に同行。 杉風・北枝・野坡・越人の代わりに以下の4人を加える説もある。 ; 河合曾良(かわい そら) : 慶安2年(1649年) - 宝永7年(1710年) 「奥の細道」の旅に同行。 ; 広瀬惟然(ひろせ いねん) : 慶安元年(1648年) - 正徳元年(1711年) 美濃蕉門の門人。関(現・岐阜県関市)に弁慶庵をむすぶ。 ; 服部土芳(はっとり とほう) : 明暦3年(1657年) - 享保15年(1730年) ; 天野桃隣(あまの とうりん) : 寛永16年(1639年) - 享保4年(1719年) 芭蕉の縁者。芭蕉に許六を紹介。 他に、以下のような説もある。 *俳人百家撰(与謝蕪村・編): 其角、嵐雪、去来、丈草、支考、北枝、許六、曾良、野坡、越人 *芭蕉と蕉門十哲図(對雲・筆): 其角、嵐雪、去来、丈草、支考、北枝、許六、曾良、野坡、杉風 *芭蕉と蕉門十哲図(南峯・筆): 其角、嵐雪、去来、丈草、支考、北枝、許六、曾良、越人、杉風 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕉門十哲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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