翻訳と辞書
Words near each other
・ 蕭
・ 蕭ウ
・ 蕭キ
・ 蕭キュウ
・ 蕭ケン
・ 蕭コウ
・ 蕭サツ
・ 蕭ソウ
・ 蕭一傑
・ 蕭万長
蕭乙薛
・ 蕭乾
・ 蕭乾 (作家)
・ 蕭亜軒
・ 蕭亞軒
・ 蕭伯游
・ 蕭何
・ 蕭余里也
・ 蕭偉
・ 蕭允


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

蕭乙薛 : ミニ英和和英辞書
蕭乙薛[しょう おつせつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おつ, きのと]
  1. (adj-na,n) 2nd in rank 2. second sign of the Chinese calendar

蕭乙薛 : ウィキペディア日本語版
蕭乙薛[しょう おつせつ]
蕭乙薛(しょう おつせつ、生年不詳 - 1124年)は、(契丹)の政治家軍人は特免。
== 経歴 ==
国舅少父房の後裔。寿昌年間、激務の官を歴任した。天慶初年、知国舅詳穏事をつとめ、殿前副点検に転じた。阿骨打が起兵して遼に反抗すると、乙薛は行軍副都統として金軍の討伐にあたったが、敗戦して罷免された。6年(1116年)、武定軍節度使として出向し、西京留守に転じた。7年(1117年)、淶水県の董龐児が反乱を起こすと、乙薛は易水の西で戦い、反乱軍を撃破した。功績より北府宰相となり、左僕射を加えられ、東北路都統を兼ねた。10年(1120年)、上京留守・知塩鉄内省両司・東北路統軍司事となった。
保大2年(1122年)、金軍が大挙して進攻してくると、乙薛の軍は壊滅し、西南面招討使に左遷された。部民の流散により、赴任しなかった。天祚帝が西遷するにおよんで、殿前都点検に任じられた。金軍の通過した後の諸営の敗残兵を上京臨潢府に再集結させ、上京留守として余喘を保った。
3年(1123年)、盧彦倫が上京で反乱を起こすと、乙薛は数カ月にわたって捕らえられたが、釈放された。4年(1124年)1月、知北院枢密使事となった。7月、耶律大石のために殺された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蕭乙薛」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.