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蕭 円粛(蕭圓肅、しょう えんしゅく、539年 - 584年)は、南朝梁の皇族。字は明恭。 == 経歴 == 梁の武陵王蕭紀の子として生まれた。552年(天正元年)、蕭紀が帝号を称すると、宜都郡王に封じられ、侍中・寧遠将軍の位を受けた。蕭紀が軍を率いて長江を下ると、蕭撝が成都の留守をまもり、円粛は副として補佐した。553年(天正2年)、北周の尉遅迥の軍が蜀に進攻してくると、円粛は蕭撝とともに降伏した。驃騎大将軍・開府儀同三司・侍中の位を受け、安化県公に封じられた。 557年(明帝元年)、棘城郡公に進んだ。563年(保定3年)、畿伯中大夫の位を受けた。565年(保定5年)、咸陽郡太守に任じられた。569年(天和4年)に陵州刺史に転じ、まもなく衛国公宇文直に従って襄陽に駐屯するよう命じられたが、赴任しなかった。 574年(建徳3年)、太子少傅に任じられた。577年(建徳6年)、豊州刺史に任じられた。まもなく位は上開府儀同大将軍に進んだ。578年(宣政元年)、入朝して司宗中大夫となり、まもなく洛州刺史となった。580年(大象2年)、位は大将軍に進んだ。581年(開皇元年)、隋が建国されると、貝州刺史に任じられた。老齢の母の世話をするために辞職を願い出て、文帝に許された。584年(開皇4年)、死去した。享年は46。文集10巻があり、また当時の人により、かれの詩や文章は『文海』40巻や『広堪』10巻や『淮海乱離志』4巻としてまとめられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭円粛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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