|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大器 : [たいき] 【名詞】 1. (1) large container 2. (2) person of great talent ・ 器 : [うつわ] 【名詞】 1. (1) bowl 2. vessel 3. container 4. (2) ability 5. capacity 6. calibre 7. caliber
蕭大器(しょう だいき、523年 - 551年)は、南朝梁の皇太子。哀太子。字は仁宗。簡文帝蕭綱の長男。母は王霊賓。 == 経歴 == 普通4年(523年)5月丁酉に生まれた。中大通4年(532年)、宣城郡王に封じられ、食邑2000戸を受けた。まもなく侍中・中衛将軍となった。大同4年(538年)、侍中のまま使持節・都督揚徐二州諸軍事・中軍大将軍・揚州刺史に任じられた。 太清2年(548年)10月、侯景が建康に侵攻すると、大器は台内大都督に任じられた。3年(549年)5月、父の簡文帝が即位した。6月丁亥、大器は皇太子に立てられた。大宝2年(551年)8月、侯景が簡文帝を廃位し、大器を殺害しようとした。侯景が大器を召し出したとき、大器は『老子』を講義していたところだった。太子は顔色を変えず、おもむろに「長らくこのことは知っていた。その遅いのを嘆くのみ」と言った。刑吏は衣の帯で絞殺しようとしたが、大器は「これでは殺されてやることができない」と言って、旗竿の下繩を指さして、それで絞殺するよう指示した。享年は29。承聖元年(552年)4月、哀太子と追諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭大器」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|