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蕭特末(しょう とくまつ、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家。字は何寧。 == 経歴 == 太平年間、安東軍節度使に累進し、有能で知られた。11年(1031年)、召還されて左祗候郎君班詳穏となった。ほどなく左夷離畢に転じた。重熙10年(1041年)、北院宣徽使となった。11年(1042年)、劉六符とともに北宋への使者に立ち、晋陽と瓦橋以南の10県の地を割譲するよう求めた。宋側は10県の代わりに、歳幣を銀10万両と絹10万疋増額することを申し出てきた。帰国すると、同政事門下平章事の位を加えられた。西南の渾底甸に築城するよう命じられ、任務を終えて帰還すると、再び北院宣徽使となった。ほどなく死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭特末」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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