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蕭緬[しょう めん] 蕭緬(しょう めん、455年 - 491年)は、南朝斉の皇族。安陸昭王。字は景業。 == 経歴 == 蕭道生の子として生まれた。容姿や挙措にすぐれた。宋の秘書郎を初任とした。邵陵王文学や中書郎をつとめた。479年(建元元年)、斉が建国されると、安陸侯に封じられた。太子中庶子に転じ、侍中の位を受けた。482年(建元4年)、武帝が即位すると、蕭緬は五兵尚書となり、前軍将軍の号を受けた。輔国将軍・呉郡太守として出向し、治績を挙げ、竟陵王蕭子良に高く評価された。 483年(永明元年)、持節・都督郢州司州之義陽軍事・冠軍将軍・郢州刺史に転じた。487年(永明5年)、建康に召還されて侍中となり、驍騎将軍の号を受けた。中領軍に転じた。488年(永明6年)、散騎常侍・太子詹事に転じた。会稽郡太守として出向した。490年(永明8年)、使持節・都督雍梁南北秦四州荊州之竟陵司州之隨郡軍事・左将軍・寧蛮校尉・雍州刺史に任じられた。寛容穏健な統治で知られた。491年(永明9年)、死去した。侍中・衛将軍の位を追贈された。諡は昭侯といった。享年は37。 蕭緬は若いころから西昌侯蕭鸞と親しく、蕭鸞は蕭緬死去の当時は尚書右僕射兼衛尉であったが、衛尉の任を解くように上表し、私邸で哀悼を捧げようとしたが許されなかった。蕭鸞は蕭緬の霊前に立つごとに、慟哭して声にならなかったという。494年(建武元年)、明帝(蕭鸞)が即位すると、蕭緬は侍中・司徒・安陸王の位を追贈された。
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