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薛漁思[せつぎょし]
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・ 漁 : [りょう, いさり] 【名詞】 1. fishing 2. catch
薛漁思[せつぎょし] 薛漁思(せつぎょし)は中唐の文人。伝奇集『河東記』の撰者。南宋の洪邁『夷堅志』の支癸序(夷堅支志癸集序)に「薛渙思之河東記」と記されているので名は渙思(かんし)であった可能性もあるが〔今村与志雄訳『唐宋伝奇集(下)』岩波文庫、1988年、「胡媚児(こびじ)」訳注。〕、(ちょうこうぶ)『郡斎読書志』(衢州本)巻13や、(しゅしょうひ)(カ?)『(こんじゅしゅう)』巻7では「薛漁思」とされているので漁思で正しいと思われる〔赤井益久、岡田充博、澤崎久和「『河東記』訳注稿(一)」「はじめに」(岡田執筆)『名古屋大學中国語學文學論集』27、名古屋大學中国文學研究室、2014年(名古屋大学学術機関リポジトリ )。〕。 『河東記』を撰した事以外の経歴は不明。同集は徳宗から穆宗に掛けての貞元、元和、長慶(785年から825年)の記事が多く、文宗の大和の末か開成初年(830年代後半)の成立と見られる事から、文宗朝(凡そ9世紀前半)を生きた人物であったと考えられている〔前野直彬『六朝・唐・宋小説選』(中国古典文学大系24)「解説」、平凡社、昭和43年。溝部良恵『広異記・玄怪録・宣室志他』(中国古典小説選6)「河東記(抄)解説」、明治書院、2008年。〕。また、『河東記』の集名から河東の地(現中華人民共和国山西省西部)に縁故ある人物と推定され〔前掲岡田論考、前野解説。〕、薛という姓からは六朝以来の名族として同地で栄えた薛氏の、殊に初唐に「河東三鳳」と称された徳音(とくおん)、収、元敬を輩出した河東県(現山西省永済県)の家系に連なる可能性が考えられ、そこから、或いは名門の出と自身の文才を誇り乍らも遂に出世する事無く終わった人物であったかとも想像される〔岡田前掲論考。〕。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「薛漁思」の詳細全文を読む
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