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平 忠度(たいら の ただのり)は、平安時代の平家一門の武将。平忠盛の六男〔。平清盛の異母弟。 == 生涯 == 天養元年(1144年)伊勢平氏の棟梁である平忠盛の六男として生まれる。母は藤原為忠の娘(異説として原高成の女とも〔「良峯氏系図」(『続群書類従』巻第174所収)〕)。紀伊国の熊野地方で生まれ育ったと言われており、熊野別当湛快の娘で湛増の妹でもあった女を妻としたこともあったようである。 治承2年(1178年)従四位上。治承3年(1179年)伯耆守。治承4年(1180年)正四位下・薩摩守。 歌人としても優れており藤原俊成に師事した。平家一門と都落ちした後、6人の従者と都へ戻り俊成の屋敷に赴き自分の歌が百余首おさめられた巻物を俊成に託した。『千載和歌集』に撰者・俊成は朝敵となった忠度の名を憚り「故郷の花」という題で詠まれた歌を一首のみ詠み人知らずとして掲載している〔『平家物語』巻7「忠度都落」〕。 『千載和歌集』以降の勅撰和歌集に11首が入集〔『勅撰作者部類』〕。なお、『新勅撰和歌集』以後は晴れて薩摩守忠度として掲載されている。 源頼朝討伐の富士川の戦い、源義仲討伐の倶利伽羅峠の戦い等に出陣。一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄と戦い41歳で討死。平家物語によると源氏に紛れる作戦をとっていたが、源氏の多くが付けていないお歯黒を付けていたので見破られて討たれた。その時箙(えびら)に結びつけられたふみを解いてみると、「旅宿の花」という題で一首の歌が詠まれていた。 彼が討たれた際、文武に優れた人物を…と敵味方に惜しまれたという。戦の後、忠澄は忠度の菩提を弔うため、埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立している。 兵庫県明石市には、忠度の墓と伝わる「忠度塚」があり、付近は古く忠度町と呼ばれていた(現・天文町)。また忠度公園という小さな公園もある。神戸市長田区駒ヶ林には、平忠度の腕塚()と胴塚()がある(神戸市認定地域文化財)。 唱歌「青葉の笛」(大和田建樹作詞、作曲・田村虎蔵)の二番は、平家物語巻七「忠度都落ち」と巻九「忠度最期」の二場面を、続けて歌っている。即ち一度都落ちした忠度が京に取って返して歌の師・藤原俊成に、近々編纂される勅撰和歌集の為に自分の歌を託した事と、一の谷で忠度が討たれた時(「今はの際間」)に箙の中に残っていた歌が、「花や今宵の主ならまし」であった事を歌っている。 曲: 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平忠度」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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