翻訳と辞書
Words near each other
・ 薬丸兼将
・ 薬丸兼慶
・ 薬丸兼成
・ 薬丸兼成 (新蔵)
・ 薬丸兼教
・ 薬丸兼文
・ 薬丸兼武
・ 薬丸兼福
・ 薬丸兼義
・ 薬丸兼陳
薬丸兼雄
・ 薬丸壱岐守
・ 薬丸壱岐守兼成
・ 薬丸夏子
・ 薬丸岳
・ 薬丸新蔵
・ 薬丸流
・ 薬丸秀美
・ 薬丸翔
・ 薬丸自顕流


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

薬丸兼雄 : ミニ英和和英辞書
薬丸兼雄[やくまる かねたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

薬丸兼雄 : ウィキペディア日本語版
薬丸兼雄[やくまる かねたか]
薬丸 兼雄(やくまる かねたか、元禄6年(1693年) - 宝暦4年(1754年))は江戸時代薩摩藩士通称は新蔵。は兼雄。示現流の達人として知られた薬丸兼慶の子。息子は薬丸兼中。父の地頭就任により父とともに家格代々小番〔他藩の馬廻に相当。〕となる。〔「三州御治世要覧」によると薩摩藩の家格は宝永年間に大体決まり、家格小番以下の家が一代で代々小番格に昇進するためには地頭や留守居就任が必要であった。このことや「薬丸文書」にわざわざ享保年間に小番になった記事があることから父兼慶が地頭就任し、兼雄が家格小番になるまでは薬丸家の家格は小番ではなく、代々新番だった可能性が高い。〕また、久保之英の「見聞秘記」に登場している。藩職は記録方添役を勤める

==経歴==

*享保9年4月28日 弟の長右衛門とともに初お目見え
*同年5月2日 部屋住みではあったが家格が小番となる
*享保11年8月16日 新番を勤める。〔「薬丸文書」参照なお、この新番は家格の新番とは別で参勤交代の際の役職の方。〕。
*延享5年(1748年)には記録方添役〔ちなみにこの職は宝暦5年の「嶋津家分限帳」によると上から37番目の席次の職であり、細工奉行の5つ下の職であった。また、同職は6人扶持の職であった。記録奉行の助手の役割の職であり、記録方添役の仕事の一旦が「文化朋党実録」の中で秩父太郎が伊賀に改名する過程で登場する。別名は記録奉行が「大史」と言われるのに対し、「副史」と呼ばれる〕に任じられた。
*寛延4年6月7日;病気のために職を辞す。
*宝暦元年(1751年)に隠居した父の後を相続する。
*同4年、父に先立って病死した。法名は玄光院院山道居士。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「薬丸兼雄」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.