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藤井 勉三(ふじい べんぞう、1840年(天保11年1月)〔〔『新編日本の歴代知事』858頁では「天保11年」、『福井県大百科事典』879頁では「天保13ごろ」。〕 - 1880年(明治13年)9月〔「神奈川県鎌倉市 藤井家(広島県令藤井勉三)仮目録」〕〔『福井県大百科事典』879頁では「明治14年」。〕)は、幕末の長州藩士、明治期の内務官僚。広島県令。 ==経歴== 長州藩士の家に生まれる。明治4年(1871年)藩費でヨーロッパに留学した〔『海を越えた日本人名事典』新訂増補、591頁。〕。 明治政府に出仕し、明治5年4月2日(1872年5月8日)敦賀県参事に就任し、1873年1月19日、同県権令に昇進〔『百官履歴 下巻』157頁。〕。明治5年11月、敦賀港の重要性から敦賀県と足羽県を統合して敦賀に県庁を置くことを大蔵省に提言し、翌年1月に両県が統合された〔『福井県大百科事典』879頁。〕。 1875年1月25日、広島県権令に転じ、同年6月5日から1876年1月24日まで五等判事を兼任。同年2月23日、県令に昇進〔。初の広島県会を招集し、地方財政の組織化などに尽力。また、県内の巡視を積極的に実施した〔『新編日本の歴代知事』825頁。〕。病のため、1880年4月6日に依願免本官となり退官した〔「広島県令藤井勉三免官ノ件」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤井勉三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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