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藤井博 : ミニ英和和英辞書
藤井博[ふじい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

藤井博 ( リダイレクト:藤井弘 ) : ウィキペディア日本語版
藤井弘[ふじい ひろむ]

藤井 弘(ふじい ひろむ、1935年9月29日 - )は、日本昭和時代中期から末期(1950年代後半〜1980年代)のプロ野球選手・コーチ。引退後の名前は「藤井 博」(読み方同じ)。ポジションは一塁手。右投げ右打ち。広島県福山市出身。初代ゴジラ、通称"ゴジさん"。
== 来歴・人物 ==
盈進商業高校を経て社会人野球の倉敷レイヨンに入団する。に八幡製鉄から移籍の話があり、内密でグラウンド見学に行くなどして藤井自身は乗り気となるが、同じ社会人野球のライバルチームへの移籍に反対するクラレから猛反対を受ける。この状況の中で広島カープから入団の打診があり、プロ野球ならやむなしとしてクラレも反対せず、八幡製鉄側も監督の加藤喜作が広島監督白石勝巳の先輩だったことで了承し、に広島カープに入団の運びとなる〔 『広島東洋カープ60年史 -躍動!赤ヘル軍団-』38頁〕。
一発強打の打撃力を買われての入団であった。だが不器用でプロのカーブが全く打てず、長い二軍生活を送った。その苦しみは他人の想像を遙かに超えており、遠征の帰路、船上から海に飛び込もうとしたほどであった。それを通りかかった野崎泰一二軍監督に見つかり、「死ね、死んだつもりで頑張ってみろ」と諭され奮起する〔『広島東洋カープ(金山次郎監修)』(ISBN4-89174-012-4)36-37ページ〕。
入団3年目のに持ち前の長打力が花開いて三番一塁手のレギュラーを掴み、全試合出場を果たして17本塁打(リーグ5位)、62打点(リーグ3位)を記録し、オールスターゲームにも出場する。以降中軸打者としてまで主にクリーンナップを務め、興津立雄大和田明古葉竹識らと共にチームの打撃陣を支える。には、キャリアハイとなる打率.280(リーグ12位)、20本塁打(リーグ7位)、80打点(リーグ5位)を記録した。
またこの間、の国鉄戦で苦手・金田正一から特大ホームランを放ち、チームの64イニング無得点にストップをかけた。翌には球団初の逆転サヨナラ本塁打も放っている(1961年7月16日、対国鉄9回戦、9回裏1アウト1塁、金田正一投手から左翼席へ)。
1969年に引退。1972年から1988年まで、打撃コーチ・総合コーチ・二軍監督を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤井弘」の詳細全文を読む




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