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藤原乙牟漏(ふじわら の おとむろ、天平宝字4年(760年)〔『一代要記』に薨年三十九とあり、これに拠るなら天平勝宝4年(752年)生まれということになる。高島正人は、父藤原良継や桓武の年齢、平城の出生年(続日本紀の記述どおりだとすれば満13あるいは14歳で出産したことになる)からすれば、こちらのほうが合理的だとしている。高島「奈良時代における藤原氏一門の女性」『奈良時代諸氏族の研究』p.397。〕 - 延暦9年閏3月10日(790年4月28日))は、奈良時代末期の皇妃。第50代桓武天皇の皇后、第51代平城天皇・第52代嵯峨天皇の生母となった.〔Ponsonby-Fane, page 62.〕 == 親族 == 父は藤原式家の藤原良継、母は阿倍粳蟲の娘で尚侍兼尚蔵(就任時期不明)・阿倍古美奈。山部親王の許に入内し、宝亀5年(774年)8月に小殿親王(後に改名して安殿)を産んだ。〔Nussbaum, Louis-Frédéric. (2005). "Fujiwara no Umakai" in ; Brinkley, Frank ''et al.'' (1915). 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原乙牟漏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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