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藤原 伊周(ふじわらの これちか)は平安時代中期の公卿。摂政関白内大臣藤原道隆の嫡男(三男)。 ==生涯== === 誕生と急速な出世 === 天延2年(974年)藤原北家九条流の上卿大納言兼家の嫡男であった兵衛佐道隆と、内裏の内侍であった貴子の間に生まれる。異母兄に「大千代君」の幼名を持つ道頼がいたため、小千代君と名づけられた。 寛和元年(985年)11月20日に12歳で元服し、同日従五位下に叙爵。翌寛和2年(986年)7月22日一条天皇の即位式の日に昇殿し、ついで侍従・左兵衛佐に任ぜられる。永延元年(987年)9月4日に左近衛少将、翌2年正月15日禁色を聴される。正暦元年(990年)5月8日に祖父兼家の後をついで父道隆が摂政に就任し、さらに同年10月中宮に同母妹定子が立つと、摂関家の嫡男としてその地位は飛躍的に上昇した。同年中に右近衛中将・蔵人頭を経て、正暦2年(991年)正月26日に参議となって公卿に列すと、同7月27日従三位、9月7日には権中納言に昇進、更に翌正暦3年(992年)8月28日には正三位権大納言に進んだ(同日に辞任した舅の源重光から譲られた)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原伊周」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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