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藤原 光忠(ふじわら の みつただ)は平安時代後期の公卿。大納言・藤原経実の三男。 == 経歴 == 大炊御門家の祖・藤原経実の三男として永久3年(1115年)に誕生。天治3年(1126年)に従五位下に叙爵し、大治5年(1130年)に侍従に任官した。長承3年(1134年)20歳になって従五位上に昇叙。保延2年(1136年)には正五位下に進み、保延4年(1138年)に右近衛権少将に任ぜられる。 保延6年(1140年)に従四位下・左近衛少将に叙任。康治元年(1142年)従四位上、久安4年(1148年)正四位下と順調に昇進し、丹波介・美作介・備中介を兼帯した。久安6年(1150年)には左近衛中将に昇任し、保元元年(1156年)に参議に任ぜられて公卿に列した。保元3年12月(1159年1月)に従三位、平治元年(1159年)正三位に昇叙。 仁安元年(1166年)、権中納言に任ぜられ、翌仁安2年(1167年)には中納言に転じるが、同年中に辞退して民部卿に転任。同時に従二位に叙せられて、翌年には本座を聴された。承安元年(1171年)正月に民部卿を辞任。同年6月病のため出家するが翌日薨去。享年56。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原光忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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