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藤原兼経 : ミニ英和和英辞書
藤原兼経[ふじわら の かねつね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [けい, たていと]
 (n) (weaving) warp

藤原兼経 : ウィキペディア日本語版
藤原兼経[ふじわら の かねつね]

藤原 兼経 (ふじわら の かねつね)は、平安時代中期から後期にかけての公卿大納言藤原道綱の三男。
== 経歴 ==
母の姉妹である源倫子が叔父の藤原道長正室であった関係で、道長の養子として世に出る。寛弘8年(1011年)に元服するが、左大臣であった道長の子として従五位上直叙し〔『権記』寛弘8年8月23日条〕侍従に任ぜられ、同年中に正五位下右兵衛佐に叙任される。
以後、寛弘9年(1012年左近衛権少将、長和3年(1014年)従四位上、長和4年(1015年正四位下、長和6年(1017年)右近衛中将と道長の威光を背景に昇進を重ね、寛仁2年(1018年)に19歳にして従三位に叙せられて公卿に列する。公卿到達年齢としては、道長の庶子である頼宗(19歳)・能信(20歳)・長家(18歳)に匹敵する昇進スピードであった。
治安3年(1023年)には参議に任ぜられるが、その後病のため昇進が停滞。長暦元年(1037年)に至ってようやく正三位に叙せられる。長久4年(1043年)4月25日に病気により出家し、5月2日薨去。享年44。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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