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藤原 兼経 (ふじわら の かねつね)は、平安時代中期から後期にかけての公卿。大納言・藤原道綱の三男。 == 経歴 == 母の姉妹である源倫子が叔父の藤原道長の正室であった関係で、道長の養子として世に出る。寛弘8年(1011年)に元服するが、左大臣であった道長の子として従五位上に直叙し〔『権記』寛弘8年8月23日条〕侍従に任ぜられ、同年中に正五位下・右兵衛佐に叙任される。 以後、寛弘9年(1012年)左近衛権少将、長和3年(1014年)従四位上、長和4年(1015年)正四位下、長和6年(1017年)右近衛中将と道長の威光を背景に昇進を重ね、寛仁2年(1018年)に19歳にして従三位に叙せられて公卿に列する。公卿到達年齢としては、道長の庶子である頼宗(19歳)・能信(20歳)・長家(18歳)に匹敵する昇進スピードであった。 治安3年(1023年)には参議に任ぜられるが、その後病のため昇進が停滞。長暦元年(1037年)に至ってようやく正三位に叙せられる。長久4年(1043年)4月25日に病気により出家し、5月2日薨去。享年44。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原兼経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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