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藤原 博定(ふじわら の ひろさだ)は平安時代後期の貴族、雅楽家。八幡寺の寺主である行実の子で、藤原北家良門流、兵庫頭・藤原知定の養子となる。官位は従五位下・散位〔『尊卑分脈』。〕。 == 経歴 == 民部丞在任中の寛治元年(1087年)に従五位下に叙爵〔『本朝世紀』寛治元年11月18日条。〕。民部省(民部大輔を務めたとも)に出仕していたことから、民部大夫と称された。管絃の道に長じて応徳4年(1087年)の石清水臨時祭などでは陪従の役を務め〔『石清水文書』。〕、楽所預に任命された。琵琶を藤原孝博に伝えたのをはじめ、他に箏・篳篥・横笛および和歌を伝えて藤原宗忠はその日記で「''一道の長者''」と評している〔『中右記』康和5年12月21日条。〕。康和5年12月8日(1104年1月7日)に備中国で卒去した。年は40余りであったとされる〔。『古今著聞集』には太鼓の演奏を巡る大神基政との逸話がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原博定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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