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藤原 基俊(ふじわら の もととし、康平3年(1060年)- 永治2年1月16日(1142年2月13日))は、平安時代後期の公家・歌人。父は右大臣藤原俊家。 藤原氏の主流である藤原北家の出身で藤原道長の曾孫にあるが、官位には恵まれず従五位上左衛門佐にとどまった。1138年(保延4年)に出家し、覚舜(かくしゅん)と称した。 == 和歌 == 歌壇への登場も遅かったが、歌合では作者のほか、多くの判者もつとめ、源俊頼とともに院政期の歌壇の指導者として活躍した。革新的な作風であった俊頼に対し、基俊の作風は古い歌風を重んじたものであったという。晩年には藤原俊成を弟子に迎えた。漢詩文にも通じ「新撰朗詠集」を撰集している。 「金葉和歌集」以下の勅撰和歌集に百余首入集。家集に「基俊集」がある。 *小倉百人一首 *ちぎりおきし させもが露を いのちにて あはれ今年の 秋もいぬめり (「千載集」雑・1023) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原基俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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