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藤原基重 : ミニ英和和英辞書
藤原基重[ふじわら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

藤原基重 ( リダイレクト:藤原家通 (権中納言) ) : ウィキペディア日本語版
藤原家通 (権中納言)[ふじわら の いえみち]

藤原 家通(ふじわら の いえみち)は、平安時代末期の公卿中納言藤原忠基の子。母が家女房として仕えていた大納言藤原重通養子となる。六角小路に邸宅があったことから「六角」と号する。
久安4年(1145年)に従五位下に叙され、仁平4年(1154年)に従五位上に進む。保元元年(1156年)に左兵衛佐兼左近衛少将となり、翌年正五位下に進む。保元4年(1159年)に従四位下に進む。永暦元年(1160年)に従四位上右近衛中将となる。応保3年(1163年)に正四位下に進み、長寛2年(1164年)に二条天皇蔵人頭を兼ねて頭中将となり、六条天皇の即位後も留任した。仁安元年(1166年)に参議に任じられ、2年後に従三位に進む。承安2年(1172年)に正三位に進む。治承三年の政変後に藤原光能に替わって右兵衛督を兼ね、寿永元年(1181年)に従二位に進み左兵衛督に転じる。翌年権中納言右衛門督に任じられる。元暦元年(1184年)に正二位に進み、文治2年(1186年)に左衛門督を兼ねる。翌年、権中納言兼左衛門督を退き、間もなく死去した。
和歌にも秀で、『千載和歌集』と『新古今和歌集』にそれぞれ2首採録されている。また、『角金記』と呼ばれる日記(通称の「六角金吾(=衛門督)」に由来)があったとされるが、現存していない。
== 系譜 ==

*父:藤原忠基
*母:藤原有広の娘
*養父:藤原重通
*養母:源師頼の娘
*正室藤原俊成の娘
 *男子:藤原時通
 *男子:藤原敦通
*生母不明
 *男子:藤原定通
 *男子:藤原親通
 *男子:信家
 *男子:重信
 *男子:尊能
 *男子:円家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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