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藤原 大津(ふじわら の おおつ、延暦11年(792年) - 仁寿4年10月9日(854年11月2日))は、平安時代前期の官人。藤原北家、右大臣・藤原内麻呂の九男〔『日本文徳天皇実録』斉衡元年10月9日条〕。官位は正五位下・備前守。 == 経歴 == 18歳の時大舎人大允となり、常陸大掾・右近将監を経て、天長2年(825年)正六位上から従五位下に叙せられる。翌天長3年(826年)備後守に任ぜられるが、治績を上げ民に慕われたという〔。のち、天長9年(832年)大監物、天長10年(833年)散位頭、承和元年(834年)左馬助、承和3年(836年)信濃守を歴任する。 承和9年(842年)6月神祇大副に任ぜられ、同年7月の承和の変においては山城国の宇治橋を守った。同年8月陸奥守次いで左衛門佐を兼ねる。承和11年(844年)従五位上・伊予守に叙任するが、豊作となり民を富ませたという〔。 嘉祥3年(850年)備前守、仁寿元年(851年)正五位下に叙任される。仁寿4年(854年)10月9日卒去。享年63。最終官位は正五位下備前守。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原大津」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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