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藤原孝範 : ミニ英和和英辞書
藤原孝範[ふじわらのたかのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 
: [はん]
 【名詞】 1. example 2. model 

藤原孝範 : ウィキペディア日本語版
藤原孝範[ふじわらのたかのり]
藤原孝範(ふじわらのたかのり、保元3年(1158年) - 天福元年8月(1233年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての官人藤原南家貞嗣流の文章博士藤原永範養子。実父は藤原北家〔『尊卑分脈』では良仁の子孫、内麻呂真夏)の子孫の両方の記載あり。〕の斎宮次官藤原利永。正四位下大学頭
文治3年(1187年)2月、文章生だった孝範は御書所の作文に列席した際、九条兼実から「名誉の士なり」と称賛された〔『玉葉』文治3年2月9日・同27日条〕。その後、上西門院(統子内親王)判官代・大内記文章博士・大学頭・越前などを歴任した。文章博士在任時には、承元建暦建保承久の年号勘申に関わっている。貞応元年(1222年)、清涼寺において詩会を催している。貞永元年(1232年)11月に出家して法名を寂尋とした。翌天福元年(1233年)8月、76歳で卒去。
漢詩の才に優れた文人として知られ、後高倉院の清涼寺供養願文などの多くの願文を草したほか、寛喜元年(1229年)に関白九条兼実の上表文も草している。
『柱史抄』『明文抄』『秀句抄』などの著作を残す。また『和漢兼作集』『鳩嶺集』『本朝文集』などにも詩文が残る。
== 系譜 ==

*父:藤原利長
*母:不詳
*養父:藤原永範
*妻:不詳
 *長男:藤原経範(1189?-1257)
 *男子:藤原保範 - 実は藤原光兼の子?
 *男子:藤原邦仲
 *養子〔『平戸記』では実子ではないとする。〕:藤原宗範 - 実は経範の子?

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原孝範」の詳細全文を読む




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