|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 守 : [もり] 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor
藤原 守義(ふじわら の もりよし、寛平8年(896年) - 天延2年2月4日(974年2月28日))は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原北家魚名流、中納言・藤原山蔭の孫で、但馬守・藤原公利の三男。官位は従四位上・参議。 == 経歴 == 延長2年(924年)文章生、延長6年(928年)越前権大掾、延長8年(930年)蔵人、延長9年(931年)式部少丞次いで承平3年(933年)転大丞を経て、承平6年(936年)従五位下・和泉守に叙爵。 天慶4年(941年)従五位上・阿波伊予守、天暦2年(948年)正五位下・越前丹波守、天暦5年(951年)従四位下、そして応和3年(963年)従四位上と地方官の功等で順調に昇進。引き続き翌年伊予守、安和3年(970年)播磨守と国司を務め、天禄3年11月(973年1月)遂に参議となり公卿に昇りつめる。 天禄4年(973年)宮内卿に任ぜられるが翌年卒去。享年79。父・公利は従四位下に終わり公卿昇進は薄かったが、地方官の功で昇叙。赫々たる地方官と認識され、六国の守を務める。長命のかいもあり、77歳にして公卿に列した。 また、娘は権中納言・藤原為輔に嫁ぎ宣孝らの生母となったため、大弐三位の高祖父にあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原守義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|