|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 宗 : [そう, しゅう] 【名詞】 1. sect
藤原 宗成(ふじわら の むねなり、延暦4年(天安2年5月27日 (旧暦) == 略歴 == 大同2年(807年)に中務卿兼大宰帥・伊予親王に謀反を勧めたとして捕らえられるが、尋問にあたり謀反の首謀者は伊予親王であると答えた。この事件で藤原吉子・伊予親王母子は川原寺に幽閉され自殺、大納言・藤原雄友は流刑、中納言・藤原乙叡は解官され、藤原南家は没落した。また、宗成自身も流刑に処せられたという(伊予親王の変)。宗成は藤原式家の藤原仲成にそそのかされたともいうが、定かではない。 その後、流刑から赦されたらしく、天長6年(829年)正六位上から従五位下に昇叙、天長9年(832年)従五位上に叙されるなど、淳和朝でわずかに昇進している。承和7年(840年)淳和上皇の崩御に際して、御前次第司次官に任ぜられた。 伊予親王の変以降、世間から見捨てられたような状態となり、貧困のうちに卒去した〔『日本文徳天皇実録』天安2年5月27日条〕。享年74。最終官位は散位従五位上。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原宗成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|