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藤原宗隆 : ミニ英和和英辞書
藤原宗隆[ふじわらそうたかし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

藤原宗隆 : ウィキペディア日本語版
藤原宗隆[ふじわらそうたかし]

藤原 宗隆(ふじわら の むねたか)は平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿藤原北家権中納言藤原長方の長男。
== 経歴 ==
嘉応2年(1170年従五位下叙爵承安4年(1174年甲斐守に任ぜられる。秩満すると、治承2年(1178年備後守に任ぜられ、治承3年(1179年治承三年の政変にて甲斐守・藤原為明が解官されると、甲斐守に再任した。治承5年(1181年)父の譲りで従五位上に叙される。
寿永2年(1183年淡路守に任ぜられる。寿永3年(1184年正五位下勘解由次官に叙任され、五位蔵人に補任。文治5年(1189年右少弁を務め、左衛門権佐を兼ねる。検非違使別当を経て、文治6年(1190年)左少弁に転じた。建久5年(1194年従四位下・権右中弁。
建久6年(1195年)従四位上に叙されるが、不仕により除籍される。その後、右中弁、左中弁に転任し、装束使・氏院別当・修理左宮城使を歴任した。
建久9年(1198年正四位下蔵人頭に叙任される。同年中に参議に任ぜられて公卿に列し、左大弁に転じる。建久10年(1199年)に入り、勘解由長官・備後権守を兼帯。正治2年(1200年従三位に叙され、建仁元年(1201年権中納言に進む。建仁2年(1202年正三位に至る。
元久2年(1205年)3月頃から病になり、3月27日に出家。翌日40歳で薨去した〔『明月記元久2年3月28日条〕。死後の嘉禄2年(1226年)の火災で宗隆の和漢文庫が焼亡している〔『百錬抄嘉禄2年8月18日条〕。
千載和歌集』に宗隆の詠んだ和歌が一首ながら入集している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原宗隆」の詳細全文を読む




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