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藤原 尹明(ふじわら の ただあき または まさあき、生没年未詳)は平安時代末期の公家。藤原南家の出身で東宮学士藤原知通の子。従五位上、兵部権少輔〔『尊卑分脈』では正五位下・兵部少輔とする。〕、出羽守。 == 経歴 == 文章生から対策に及第し式部丞となる。大外記・中原師元の娘を妻としたが、彼女の母が平忠盛の娘であった関係から平清盛と親しく、一方で自らの姉妹が嫁いだ葉室惟方とも懇意であった。こうした関係から、平治元年(1159年)の平治の乱においては、初め藤原信頼方に加わっていた惟方が清盛に内通するに当たって仲介役を果たしたともされ、両者の意向を受け、信頼によって内裏に監禁されていた二条天皇を清盛の六波羅邸に脱出させる際の実行役を務めた。 この功績もあって、その後も清盛の信頼厚く、惟方失脚の後も平氏政権の下で立身する。娘は安徳天皇の掌侍を務め、実質的に平家一門に準じるような扱いを受けた。この関係から、寿永2年(1183年)の平家都落ちに随行し、元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いにおいては平時忠らとともに捕虜となる。都へ連行された後、文治元年(1185年)に出雲国に配流された。同5年(1189年)に赦免され帰洛するが、その後の消息は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原尹明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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