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藤原 山蔭(ふじわら の やまかげ)は、平安時代前期の公卿。越前守・藤原高房の次男。 == 経歴 == 仁寿4年(854年)の左馬大允を振り出しに衛門少尉を務めた後、天安2年(858年)3月に皇太子・惟仁親王の春宮大進に任ぜられ、同年11月の惟仁親王の即位(清和天皇)に伴い従五位下に叙せられる。 清和朝では天皇の側近として蔵人・近衛少将を務める傍ら、備後権介・伊予介・美濃守と地方官を兼ねる。貞観14年(872年)の太政大臣・藤原良房の没後に俄に昇進し、貞観15年(873年)正五位下、貞観17年(875年)従四位下・蔵人頭・右近衛権中将に叙任される。 貞観18年(876年)に清和天皇が退位すると引退を決意するが、新帝・陽成天皇の慰留により引き続き出仕を続け、元慶元年(877年)に右大弁、元慶3年(879年)には従四位上・参議に叙任され公卿に列す。。光孝朝の仁和2年(886年)従三位・中納言に至る。 仁和4年(888年)2月4日に薨去。享年65。最終官位は中納言従三位兼行民部卿。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原山蔭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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