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藤原 岳守(ふじわら の おかもり、大同3年(808年) - 仁寿元年9月26日(851年10月24日)は、平安時代前期の貴族。藤原南家、春宮亮・藤原三成の長男。官位は従四位下・右近衛中将。 == 経歴 == 若くして大学で学ぶが、史伝を読みあさり、たいそう草隷も習ったという。天長元年(824年)より皇太子・正良親王の身近に仕えるが、物事に応対する際の立ち居振る舞いが優雅であるとして、正良親王に重んじられたという。天長3年(826年)内舎人に任ぜられる。 天長10年(833年)正良親王が即位(仁明天皇)すると、右近衛将監次いで内蔵助を務め、承和元年(834年)従五位下に叙せられる。讃岐介・左馬助を経て、承和5年(838年)左少弁に任ぜられるが、耳の不具合で朝議の聴受ができず、弁官の業務遂行が困難となったことから、まもなく大宰少弐に転任する。大宰府に赴任中に、唐人の貨物の内容を調査した際に得た元稹・白居易の詩筆を天皇に献上したところ、天皇は非常に喜び、承和6年(839年)従五位上に昇叙された。 その後、承和12年(845年)正五位下・左近衛少将、承和13年(846年)従四位下・右近衛中将と昇進するが、承和15年(848年)近江守として地方官に転じる。地方官として任地の人々に慕われ、任期を終えたのちも栄達はのぞまなかったことから、当時の論者に賞賛されたという。仁寿元年(851年)9月26日卒去。享年44。最終官位は散位従四位下。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原岳守」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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