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藤原 師信(ふじわら の もろのぶ、長久2年(1041年) - 寛治8年正月10日(1094年1月28日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族。権大納言・藤原経輔の四男。官位は正四位下・播磨守。 == 経歴 == 寛治2年(1088年)行幸によって勧賞されて正四位下に叙され〔『中右記』寛治2年正月19日条〕同年、丹後守に任ぜられる〔『後二条師通記』寛治2年11月25日条〕。寛治3年(1089年)内蔵頭として賀茂臨時祭の記事に名がある〔『中右記』寛治3年11月25日条〕。寛治5年(1091年)播磨守を兼ねる。寛治6年(1092年)公卿議の間、東方に赤雲が有った際、師信が夢想があったと告げている〔『中右記』寛治6年8月21日条〕。寛治7年(1093年)殿上人となり、同年2月に郁芳門院院別当に任ぜられる〔『中右記』寛治7年2月10日条〕。その後、正四位上に昇り、修理権大夫を務める。 寛治8年(1094年)正月10日に飲水病により卒去〔『尊卑分脈』道隆流〕〔『中右記』寛治8年正月10日条〕。享年54。最終官位は正四位上行修理権大夫播磨守。 媞子内親王の院別当を務めた際、『執行万事』と評されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原師信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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