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藤原 幸三郎(ふじわら こうざぶろう、生没年不詳)は、日本の撮影技師、編集技師、現像技師である。大正時代に日活向島撮影所で技師長を務め、独立して藤原商会(現在のフジワラプロダクションズ)を設立した〔会社概要 、フジワラプロダクションズ、2009年12月14日閲覧。〕〔『日本教育映画発達史』、田中純一郎、蝸牛社、1979年、p.54.〕。 == 人物・来歴 == 生年生地不明。 1904年(明治37年)、日露戦争にカメラ機材を携えて従軍し、吉沢商店が製作した『日露戦争活動写真』〔が、東京・神田の錦輝館で開いた日本活動写真会で上映された〔日露戦争活動写真 、日本映画データベース、2009年12月14日閲覧。〕。 1913年(大正2年)10月、日活向島撮影所の設立に参加する。レフ・トルストイの原作を桝本清が脚色、細山喜代松が監督した『カチューシャ』の撮影・編集・現像に携わる。同作は、1914年(大正3年)10月に公開され、大ヒットとなった。当時の同撮影所では、撮影技師を「技手」と呼び、撮影のみならず、現像や編集までのポストプロダクション業務までを行っていた〔『日本映画史発掘』、田中純一郎、冬樹社、1980年、p.128-132.〕。監督・脚本をはじめ、技手等のクレジットが行われるようになるのは、1918年(大正7年)の『生ける屍』以降のことで〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎、中公文庫、1975年11月25日 ISBN 4122002850、p.274-279.〕、藤原が撮影した作品の全貌はわからない。 1921年(大正10年)、当時の皇太子(のちの昭和天皇)によるイギリス・フランス・ベルギー・オランダ・イタリアのヨーロッパ5か国歴訪に取材し、全23巻ものの長尺のドキュメンタリー映画『皇太子殿下御渡欧記録映画』を製作〔、帰国後に、藤原商会を設立して独立した〔。東京・青山に現像場を開設、教育映画・記録映画等の映画製作を行った〔。 藤原商会は、1945年(昭和20年)6月に強制疎開により現像場を閉じるが、藤原がどの時点まで活動していたかは、不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原幸三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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