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藤原 当幹(ふじわら の まさもと)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。右兵衛督・藤原良尚の九男。 == 経歴 == 昌泰元年(898年)35歳で文章生に補せられると、左衛門少尉・六位蔵人を歴任し、延喜4年(904年)従五位下・下野守に叙任され地方官に転じる。 延喜9年(909年)左大臣・藤原時平の没後まもなく左衛門権佐として京官に復帰すると、延喜10年(910年)従五位上・右少弁、延喜13年(913年)左少弁、延喜15年(915年)正五位下、延喜17年(917年)従四位下と、醍醐朝中期には弁官を務めながら順調に昇進する。のち右京大夫・大宰大弐を経て、延喜23年(923年)60歳で参議に任ぜられ公卿に列した。 延長3年(925年)以降、醍醐朝末から朱雀朝にかけて、議政官として長く治部卿を兼ねる一方、延長6年(928年)従四位上、承平4年(934年)正四位下と昇進し、承平7年(937年)従三位に至る。年来からの病気により公務を勤められないとして、天慶4年(941年)2月以降辞官を請うていたが、同年11月4日八坂東院にて薨去。享年78。最終官位は参議従三位治部卿。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原当幹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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