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藤原 忠家(ふじわら の ただいえ、長元6年(1033年) - 寛治5年11月7日(1091年12月19日)は、平安時代中期の公卿。藤原北家御子左流、権大納言・藤原長家の次男。官位は正二位・大納言。 == 経歴 == 寛徳元年12月30日(1045年1月20日)に叙爵し、翌年に侍従に補任される。その後、近衛少将などを経て、永承6年6月13日(1051年7月23日)に従三位に叙せされる。康平3年12月16日(1061年1月10日)に参議に補任され、同7年10月13日(1064年11月23日)には正二位に叙位。権中納言・右衛門督(兼官)・権大納言などを経て、承暦4年8月1日(1080年8月18日)に大納言に任ぜられた。堀河天皇の即位式では外弁を務めた〔『中右記』〕。また、応徳4年(1087年)の踏歌節会の内辨を務めている。寛治4年9月25日(1090年10月20日)に出家し、翌年6月6日(1091年6月25日)に受戒、その年の11月7日(1019年12月19日)に死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原忠家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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