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藤原 成光(ふじわら の なりみつ)は平安時代後期の貴族、儒学者。藤原式家、文章博士・藤原敦光の四男または五男。 == 経歴 == 若くして大学寮に入り、保延3年(1137年)6月に父・敦光が成光の学問料の給付を願い出ている。当時の成光は正六位上の位階にあった。その後、文章得業生となり、康治元年(1142年)6月に蔵人に補任された〔『本朝世紀』康治元年6月12日条。〕。久寿2年(1155年)10月に式部権少輔に任官する〔『兵範記』久寿2年10月22日条。〕。久寿3年(1156年)正月、正五位下に叙せられ〔『兵範記』久寿3年正月5日条。〕、文章博士、式部大輔、豊前守を歴任。文章博士在任時には仁安の元号を勘申して採用された。嘉応2年(1170年)6月、太政大臣・藤原忠雅が上表する際には、上表文を起草している〔『玉葉』嘉応2年6月6日条。〕。治承2年(1178年)閏6月、九条兼実と文談する。兼実はこの時に成光を「''文道の故実を知り詩心を得たる人''」と評した〔『玉葉』治承2年閏6月28日条。〕。治承4年(1180年)7月18日に70歳で卒去〔『尊卑分脈』「藤原式家」。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原成光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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