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藤原扶幹 : ミニ英和和英辞書
藤原扶幹[ふじわら の すけもと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [みき]
 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base 

藤原扶幹 : ウィキペディア日本語版
藤原扶幹[ふじわら の すけもと]

藤原 扶幹(ふじわら の すけもと、貞観11年(869年)〔『公卿補任』天慶元年条による。同書承平7年条では年齢74歳とあり逆算すると貞観6年(864年)生となる。〕 - 天慶元年7月10日938年8月8日))は、平安時代前期の公卿藤原北家右大臣藤原内麻呂の玄孫。駿河守・藤原村椙の次男。官位従三位大納言〔『公卿補任』『尊卑分脈』。『日本紀略』天慶元年7月10日条では正二位とするが、贈位か。〕。
== 経歴 ==
周防掾近江権少掾中務少丞を経て、仁和3年(887年従五位下叙爵宇多朝では兵部少輔民部少輔を経て、寛平7年(895年信濃守に任ぜられ地方官に転じる。
醍醐朝前半も常陸介上野介と引き続き地方官を務める。扶幹は藤原忠平の側近で、延喜14年(914年)に忠平が右大臣に昇り太政官の首班に立つと、翌延喜15年(915年)に扶幹も正五位下・権右中弁に叙任され京官に復帰する。こののち、延喜16年(916年)右中弁、延喜17年(917年従四位下、延喜21年(921年)左中弁、延喜22年(922年)従四位上と、忠平執政下で弁官を務めながら順調に昇進し、延喜23年(923年)60歳で参議に任ぜられ公卿に列す。同年4月に忠平の妹・藤原穏子中宮に冊立されると中宮大夫に任ぜられたほか、議政官として大宰大弐・左大弁を兼任した。
朱雀朝でも順調に昇進し、承平2年(932年正四位上、承平3年(933年従三位中納言、承平7年(937年大納言に至る。天慶元年(938年)6月辞職を請いまもなく許されて致仕、同年7月10日薨去。最終官位は致仕大納言従三位〔。また、この間の延長8年(931年)から天慶元年(938年)の致仕に至るまで、源氏長者として淳和奨学両院別当を務めている〔『姉言記』文治4年6月30日条〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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