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藤原 敏行(ふじわら の としゆき、生年不詳 - 延喜7年(907年)または延喜元年(901年))は、平安時代前期の歌人・書家・貴族。藤原南家、藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麻呂の子。官位は従四位上・右兵衛督。三十六歌仙の一人。 == 経歴 == 貞観8年(866年)少内記。大内記・蔵人を経て、貞観15年(873年)従五位下に叙爵し、中務少輔に任ぜられる。のち、清和朝では大宰少弐・図書頭、陽成朝では因幡守・右兵衛佐を歴任し、元慶6年(882年)従五位上に叙せられた。仁和2年(886年)右近衛少将。 宇多朝では、寛平6年(894年)右近衛権中将、寛平7年(895年)蔵人頭と要職を歴任し、寛平8年(896年) 正月に従四位下に叙せられるが、同年4月病気により蔵人頭を辞任した。 寛平9年(897年)7月に醍醐天皇の即位に伴って、春宮亮を務めた功労として従四位上に叙せられ、同年9月に右兵衛督に任ぜられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原敏行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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