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藤原 敦宗(ふじわら の あつむね)は平安時代中期から後期にかけての貴族・学者・儒者・漢詩人。参議・藤原実政の長男。 == 経歴 == 初め後三条天皇の六位蔵人に任ぜられ、式部権大輔・左衛門権佐・文章博士を歴任。応徳元年(1084年)8月25日に左少弁に任ぜられる(当時の官位は左衛門権佐文章博士正五位下)。応徳3年(1086年)2月3日に摂津守、27日は修理左宮城使に任ぜられる(文章博士如元)。寛治元年(1087年)儒者として式部大輔・藤原正家と共に昇殿を聴されるが、寛治2年(1088年)父・実政が伊豆国に流罪となると敦宗もこれに連坐して左少弁を解官された。 承徳2年(1098年)式部少輔に任ぜられ復帰。承徳3年(1099年)には従四位下に叙され、大学頭・東宮学士を歴任した。嘉承2年(1107年)正四位下に進み、天仁元年(1108年)丹波守に任ぜられた。 天永2年(1111年)9月16日に卒去。享年70。最終官位は正四位下行丹波守。権中納言・藤原宗忠はその日記に『才智頗勝傍輩、可謂名儒歟』と敦宗を評価している。 また、漢詩人としても活躍。『本朝無題詩』・『本朝続文粋』などに作品が収められている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原敦宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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