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藤原 敦敏(ふじわら の あつとし)は平安時代中期の貴族。藤原北家、摂政太政大臣・藤原実頼の嫡男。三蹟の一人藤原佐理の父。 == 生涯 == 承平5年(935年)12月2日元服〔『吏部王記』承平5年12月2日条〕。天慶6年(943年)左近衛少将、天慶9年(946年)正五位下〔『勅撰作者部類』〕。 世間の評判も非常に良かったが〔『栄花物語』巻第一,月の宴〕、天暦元年(947年)に流行した疫病にかかり、祖父・忠平や左大臣に昇進した直後の父・実頼に先立って早世した。死後東国より敦敏のために献上された馬が届き、それを知った実頼が悲嘆の歌を詠んだという〔『大鏡』第二巻18段、『栄花物語』巻第一,月の宴、『後撰和歌集』、『古本説話集』。また、『古本説話集』では、陸奥守の妻となった敦敏の乳母が贈り主であったとしている。〕。 敦敏から見れば、菅原道真を失脚させた藤原時平は大伯父であると同時に外祖父にあたる。時平の血を引く者は多くが短命であり、それは道真の怨霊によるものだと喧伝されたが、敦敏も例外ではなかった。 藤原北家の嫡男でありながら、祖父や父達の影に隠れ政治的には目立たなかったが、『後撰和歌集』に和歌が1首残っている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原敦敏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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